昭和20年10月帰京。上野駅で見た「ふるさと東京」は真っ黒な世界だった。
翌年8月足立区千住。家族全員が1つ屋根の下での生活に戻った。家から見える4本の「お化け煙突」は煙を吐かないが、すっくと天空を指して立っていた。
7歳までの記憶は錆び付いて出て来ない。それでも街を歩くと、かすかに残る匂い漂う路地にいる。
「ひと」は「生き抜く」ことが最も大切。その強さを持って清々と生きたい。共に生きたボロ靴や「無機質」な家・工場車も象(かたち)ある限り、みんな活きている。その生き様を写真で表現したい。
撮影場所:北千住、南千住、上野~秋葉原、有楽町~新橋、江東区、墨田区、京都市内など (モノクロ50点程)
翌年8月足立区千住。家族全員が1つ屋根の下での生活に戻った。家から見える4本の「お化け煙突」は煙を吐かないが、すっくと天空を指して立っていた。
7歳までの記憶は錆び付いて出て来ない。それでも街を歩くと、かすかに残る匂い漂う路地にいる。
「ひと」は「生き抜く」ことが最も大切。その強さを持って清々と生きたい。共に生きたボロ靴や「無機質」な家・工場車も象(かたち)ある限り、みんな活きている。その生き様を写真で表現したい。
撮影場所:北千住、南千住、上野~秋葉原、有楽町~新橋、江東区、墨田区、京都市内など (モノクロ50点程)
髙野 経将(たかの けいしょう)略歴
1936年 東京都足立区千住町(当時の地名)生まれ
1954年 東京都立忍岡高等学校卒業
1988年 日本写真学園卒。故林忠彦氏の助手として作品「東海道」の撮影に従う。
新宿ニコンサロンにて「無情高瀬川」。写真集「川の辺の町」自費出版。その後「川の辺の町-30年の歳月」など7作品をコダック、オリンパス、フレームマンギャラリーで開催。
日本写真協会、日本写真芸術学会、茨城写真家協会