鉄板のさびや塗装のはげ、壁のひび割れや汚れなど、一見とてもきれいとは言えない物や、気付かずに通り過ぎてしまうようなありふれた光景の中に潜む「美」。
「用」を目的としてつくられたものが、人に使われ、雨風に打たれる時間の経過の中で、本来の「用」とはまったく異なる「美」がひっそりと生れている。
そして、その「美」は、誰が予想したものでも、誰の作為によるものでもなく生み出された「無為の美」。
富士山を眼前に仰ぐとき、その圧倒的な美しさに対して、私たちは受け身にならざるを得ません。
しかし、この「無為の美」は、人それぞれの感性や嗜好、その時々の心の状態などに応じて、各人が能動的、選択的に感じ取るもので、誰もが同様に美しいと感じるものではありません。
私は、長い間写真を撮り続けてきた中で、私の感じ取った「無為の美」を写真作品として表現することに最大の喜びを感じるようになりました。
それは、被写体そのものの美しさに惑わされたものでも、また、作品に対する評価を期待したものでもなく、自らが見つけ出し、感じ取った「美」を写真で表現した、自分の作品であると思えるからです。
今回、私の身近な場所を中心に撮影した作品をご高覧いただき、それぞれの被写体の持つ「無為の美」を感じ取っていただければ幸いです。
「用」を目的としてつくられたものが、人に使われ、雨風に打たれる時間の経過の中で、本来の「用」とはまったく異なる「美」がひっそりと生れている。
そして、その「美」は、誰が予想したものでも、誰の作為によるものでもなく生み出された「無為の美」。
富士山を眼前に仰ぐとき、その圧倒的な美しさに対して、私たちは受け身にならざるを得ません。
しかし、この「無為の美」は、人それぞれの感性や嗜好、その時々の心の状態などに応じて、各人が能動的、選択的に感じ取るもので、誰もが同様に美しいと感じるものではありません。
私は、長い間写真を撮り続けてきた中で、私の感じ取った「無為の美」を写真作品として表現することに最大の喜びを感じるようになりました。
それは、被写体そのものの美しさに惑わされたものでも、また、作品に対する評価を期待したものでもなく、自らが見つけ出し、感じ取った「美」を写真で表現した、自分の作品であると思えるからです。
今回、私の身近な場所を中心に撮影した作品をご高覧いただき、それぞれの被写体の持つ「無為の美」を感じ取っていただければ幸いです。
(出展枚数:カラー 40点)
村上益男 略歴
1951年 静岡県三島市生まれ 高校生の頃、趣味の山登りの傍ら、風景を中心に写真撮影を始める。 2007年 村上益男写真作品展 「珈琲館」(三島市) 2013年 「池谷俊一研東京展」 アイデムフォトギャラリー「シリウス」 2015年 「No.2 池谷俊一研東京展」 アイデムフォトギャラリー「シリウス」 2016年 村上益男写真展「作品は推論を待つ」 御殿場写真ギャラリー 2017年 「No.3 池谷俊一研東京展」 アイデムフォトギャラリー「シリウス」 2010年~2012年 ・2016年~2018年 三島市美術展写真部門審査員 所 属 : 「写真研究会 写遊人」/「サンズフォトクラブ」 (旧「コンタックスクラブ沼津支部」)