国土の殆ど平坦地であるポーランドは、ドイツとロシアに挟まれ、攻められ易く守り難い地勢だった。 それを象徴してか、ポーランドの領土は建国以来大きく膨らんだり縮んだり、100年もの間世界地図から消滅したかと思うとまた復活している。 第二次大戦終盤、ワルシャワの街はドイツ軍に占領された。ドイツ軍を追撃中のソ連軍は、ワルシャワ市中心を流れるヴィスワ川対岸まで進攻し、ワルシャワ市民に対してドイツ占領軍への武装蜂起を促した。市民は一斉蜂起したが、ソ連軍は市民を助けようとせず、対岸から傍観し二十万人のワルシャワ市民を見殺しにした。
ポーランド国歌に次の一節がある。「ポーランドは滅びず 我等が生きる限り 外敵の包囲 サーベルにて打ち破らん」ポーランドの人々は、東西冷戦が終るつい最近まで侵略の苦悩を引き摺って来たのだ。
数年前、ワルシャワを何度か訪れる機会に恵まれた。眩しい夏、黄金の秋、そして長く厳しい冬… 季節の移ろいの中、ポーランドの人々の営みをモノクロフィルムに焼き付けていった。私の出会ったポーランドの人々は、心優しくとても穏やかで、ウェットな感覚はむしろ日本人的で共感するものがあったが、心の奥に秘めている芯の強さは相当なものだ。自らを犠牲にしてでも他人に尽くすことを厭わない、その姿は昔も今も何ら変わらない。『ポーランドは滅びず…』
そんな美しく逞しい素敵な人々と向き合えたのは、私にとってとても幸せなことであった。不屈のポーランド魂の輝きに畏敬の念をこめて、彼らの生きざまをフィルムに写し留めたい一心でシャッターを切った。
(モノクロ約57点)
Photographer Profile 杉山 次郎太(すぎやま じろうた)
1963年 東京都生まれ
1989年 早稲田大学大学院理工学研究科(修士)修了 商社に勤務
2002年 上海赴任を機に撮影家集団「海鴎同志」に参加
2004年 上海から帰任
2005年 渡部さとるワークショップに参加
2005年 再春館ギャラリーにて写真展 『上海弄堂的記憶』 開催
2006年 ICHYSギャラリーにてグループ展 『渡部さとる[+9] Photographers』 に参加
2007年 「シリウス」にてグループ展 『雨奇晴好』 に参加
2008年 コニカミノルタプラザにて写真展 『王のいた村』 開催
ギャラリーDAZZLEにてグループ展 『Lab TAKE Project
モノクロプリントワークショップ写真展』 に参加
ポーランド国歌に次の一節がある。「ポーランドは滅びず 我等が生きる限り 外敵の包囲 サーベルにて打ち破らん」ポーランドの人々は、東西冷戦が終るつい最近まで侵略の苦悩を引き摺って来たのだ。
数年前、ワルシャワを何度か訪れる機会に恵まれた。眩しい夏、黄金の秋、そして長く厳しい冬… 季節の移ろいの中、ポーランドの人々の営みをモノクロフィルムに焼き付けていった。私の出会ったポーランドの人々は、心優しくとても穏やかで、ウェットな感覚はむしろ日本人的で共感するものがあったが、心の奥に秘めている芯の強さは相当なものだ。自らを犠牲にしてでも他人に尽くすことを厭わない、その姿は昔も今も何ら変わらない。『ポーランドは滅びず…』
そんな美しく逞しい素敵な人々と向き合えたのは、私にとってとても幸せなことであった。不屈のポーランド魂の輝きに畏敬の念をこめて、彼らの生きざまをフィルムに写し留めたい一心でシャッターを切った。
(モノクロ約57点)
Photographer Profile 杉山 次郎太(すぎやま じろうた)
1963年 東京都生まれ
1989年 早稲田大学大学院理工学研究科(修士)修了 商社に勤務
2002年 上海赴任を機に撮影家集団「海鴎同志」に参加
2004年 上海から帰任
2005年 渡部さとるワークショップに参加
2005年 再春館ギャラリーにて写真展 『上海弄堂的記憶』 開催
2006年 ICHYSギャラリーにてグループ展 『渡部さとる[+9] Photographers』 に参加
2007年 「シリウス」にてグループ展 『雨奇晴好』 に参加
2008年 コニカミノルタプラザにて写真展 『王のいた村』 開催
ギャラリーDAZZLEにてグループ展 『Lab TAKE Project
モノクロプリントワークショップ写真展』 に参加