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写真展案内
ハワイ・オアフ島には、日本人観光客の誰もが憧れるワイキキビーチがあります。そこから車で50分、歴史の証言者パールハーバー(真珠湾)に着きます。パールハーバーは、真珠が取れたというエメラルドグリーンの湾ですが、いまその一角にポツンと黒い点が浮上するのが見えます。81年前の日本帝国海軍機の攻撃で沈んだ戦艦アリゾナから漏れ出す油で「アリゾナの涙」と語られています。
1941年12月7日(現地時間)、日本帝国海軍機が米太平洋艦隊を奇襲しました。その1時間前に日本陸軍は英領マレー半島のコタ・パルへ上陸を開始し、太平洋を挟んでほぼ同時刻の攻撃が、日本とアジアの民に未曽有の惨禍をもたらした太平洋戦争の始まりです。
長崎生まれの私は、太平洋戦争の始まりの地を見たいと長年思っていました。現在、パールハーバーには「世界大戦武勲記念史跡」があり全米各地からの見学者が訪れます。この史跡は、太平洋戦争の始まりを象徴する「アリゾナ記念館」。日本軍の無条件降伏文書(複製)が展示されている「ミズーリ記念館」。零戦を展示している「太平洋航空博物館」。そして沖縄からの学童疎開船「対馬丸」を轟沈させた「ボーフィン記念館」で構成されています。
世界大戦武勲記念史跡ビジターセンターの片隅の展示物に驚きます。広島で被爆し10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴です。接眼レンズ越しに見る「サダコの折り鶴」はあまりにも小さく儚いものでした。同時に、米軍人の聖地に広島の少女の折り鶴を展示する運動を起こしたハワイ市民の凄さを感じます。
日米間には「Remember Pearl Harbor」と「No More Hiroshima Nagasaki」の怨念とわだかまりが横たわっています。二つの相反する趣旨が共存するこの地は、平和こそ人間が求める普遍的な願いだと叫んでいるようでした。
2022年2月のプーチン露大統領のウクライナ侵略の現実は、人間は歴史を顧みないのかと呆然します。奇襲が成功したかに見えた真珠湾攻撃も、その後の日本軍の末路が事実を示しています。プーチンも東条英機の二の舞を演じるのだろう。
今年は開戦から81年目です。コロナも落ち着き再びワイキキビーチで楽しめるようになりました。しかし、今の日本の繁栄の礎となった歴史の舞台であるパール―ハーバーも一度は見てほしいものです。日本史上最も重要な歴史的事柄である太平洋戦争の始まりと終わりの証言者たちがこの地にあります。 (撮影は2016年から2019年)
(出展枚数45枚前後)