
2011年、久しぶりに両親と住むことになった。まだ70代で金型エンジニアとしても現役だった
父は元気で、孫たちと出かけたり大工仕事や料理だってしてくれた。得意料理は肉じゃが。「じいじ、肉じゃが食べたいな」と言われればお気に入りのエプロンをしてキッチンで腕を奮っていた。
けれども歳月は容赦がない。父はゆっくりと弱っていった。父自身変わっていく自分に戸惑っていたと思う。「忘れちゃったんだよ・・・」父の言葉に一体どんな返事がふさわしいのか、私には思いつかなかった。父が肉じゃがを作ることはなくなり、私たちは父をどう扱ったらいいのかわからなかった。
亡くなる前の年、庭の柿の木はそれまでにないくらい立派な実をたくさん結んだ。庭には色々な植物があるけれど、父はその柿の木が好きだった。重く垂れ下がるたくさんの実を見上げて「今年はよくなりたなぁ」と子ども時代を過ごした東金のことばで誰にともなく言っていた。
2024年4月、父は91歳になった。家族が集まってお祝いをした。父はその細い体のどこに入るのかと心配になるくらいよく食べた。同じ月に父は突然体調を崩し入院。まもなく老衰でこの世を去った。
父はすごい人だった。この言葉でしか最後の父を表すことはできない。家族のために一生を生き、命尽きる直前まで尊厳を守り切った。
父が亡くなって初めての秋。柿の木はほんの一つの実を結んだだけだった。
父は元気で、孫たちと出かけたり大工仕事や料理だってしてくれた。得意料理は肉じゃが。「じいじ、肉じゃが食べたいな」と言われればお気に入りのエプロンをしてキッチンで腕を奮っていた。
けれども歳月は容赦がない。父はゆっくりと弱っていった。父自身変わっていく自分に戸惑っていたと思う。「忘れちゃったんだよ・・・」父の言葉に一体どんな返事がふさわしいのか、私には思いつかなかった。父が肉じゃがを作ることはなくなり、私たちは父をどう扱ったらいいのかわからなかった。
亡くなる前の年、庭の柿の木はそれまでにないくらい立派な実をたくさん結んだ。庭には色々な植物があるけれど、父はその柿の木が好きだった。重く垂れ下がるたくさんの実を見上げて「今年はよくなりたなぁ」と子ども時代を過ごした東金のことばで誰にともなく言っていた。
2024年4月、父は91歳になった。家族が集まってお祝いをした。父はその細い体のどこに入るのかと心配になるくらいよく食べた。同じ月に父は突然体調を崩し入院。まもなく老衰でこの世を去った。
父はすごい人だった。この言葉でしか最後の父を表すことはできない。家族のために一生を生き、命尽きる直前まで尊厳を守り切った。
父が亡くなって初めての秋。柿の木はほんの一つの実を結んだだけだった。
(展示枚数:カラー 40点)




