
狐越街道は山形駅の西「富神山」方面、白鷹越えを相称する街道名。
迷い込んだ街道はまるでイロハ坂のような道で湖沼群を抱えた山を越え民家が見えた時はひと安心,そこからまた山越え白鷹町へ。
知人に「狐越街道」の話をすると、「今はあまり通る人は居ないが歴史が有る」と荒砥駅資料館ボランティア作成の資料を渡してくれた。
◎直江兼続が歩いた「戦のみち」「もう一つの関ヶ原」
◎白鷹山、端山修験者の「信仰のみち」
◎山形潘と米沢藩を結ぶ「商いのみち」
兼続は荒砥城の御楯神社で戦勝祈願をし、山形潘畑谷城~長谷堂城へと進軍を開始、途中道に迷い御楯神社の白狐に助けられたとある。
それぞれの歴史が県のホームぺージに口伝と共に残されている。
もの静かな山間の人々の暮らしと歴史の片鱗を求め、何時の間にか7年もの月日が過ぎた。山中の紅花、蕎麦畑の美しさ、朝日連峰に雪が積もる頃の神々しさ、街道沿いでは漬物用の大根が干され冬支度が始まる。
もう時期冬が来ると背中を押されながら狐越街道をおりる。何もない山道だが忘れられないふる里の街道だ。
山本 やす子(山形県出身・練馬区在住・現代写真研究所)
迷い込んだ街道はまるでイロハ坂のような道で湖沼群を抱えた山を越え民家が見えた時はひと安心,そこからまた山越え白鷹町へ。
知人に「狐越街道」の話をすると、「今はあまり通る人は居ないが歴史が有る」と荒砥駅資料館ボランティア作成の資料を渡してくれた。
◎直江兼続が歩いた「戦のみち」「もう一つの関ヶ原」
◎白鷹山、端山修験者の「信仰のみち」
◎山形潘と米沢藩を結ぶ「商いのみち」
兼続は荒砥城の御楯神社で戦勝祈願をし、山形潘畑谷城~長谷堂城へと進軍を開始、途中道に迷い御楯神社の白狐に助けられたとある。
それぞれの歴史が県のホームぺージに口伝と共に残されている。
もの静かな山間の人々の暮らしと歴史の片鱗を求め、何時の間にか7年もの月日が過ぎた。山中の紅花、蕎麦畑の美しさ、朝日連峰に雪が積もる頃の神々しさ、街道沿いでは漬物用の大根が干され冬支度が始まる。
もう時期冬が来ると背中を押されながら狐越街道をおりる。何もない山道だが忘れられないふる里の街道だ。
(展示枚数 カラー45枚・A3ノビ~A1)
山本 やす子(山形県出身・練馬区在住・現代写真研究所)