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1980年頃のこと、松岡正剛氏が「クォンタム・ジャンプ!」「自らの最直近にジャンプせよ!」としばしば語っていたことを覚えています。「クォンタム・ジャンプ」とは物理学でいう「量子跳躍」のことであり、「そのぐらい微小に離れた地点へジャンプしろ」、言い換えると「最も難しいことは最も自分の近くを目指すことだ」と私は解釈しています。その当時、私はまだ若く、目指すのは退屈な〈日常〉ではなく刺激的な〈非日常〉であり、〈近く〉ではなく遥か〈遠く〉を想い描いていました。それから数十年が経ち、長らく休止していた写真を再開したときに、日常の身近な風景をストレートに撮ろうと決めた理由の一つは、「クォンタム・ジャンプ」という言葉にあると思っています。
写真を撮る者なら誰しも、同時に写真そのものについての思索を重ねるはずです。最近私が考えていることは、写真を撮ろうとする動機とその背景にある意識についてです。
人は美しい光景、感動の場面に出会ったとき、カメラを持っていれば(あるいはスマホでも)、思わずシャッターを押すでしょう。〈美しい〉と思えるのは、過去の経験から〈美しい〉というイメージを記憶に留めているからです。同様に〈感動した〉〈素晴らしい〉〈凄い〉といったイメージに関しても、そうした記憶を呼び覚ます光景と遭遇(それをシャッターチャンスと意識)すれば、写真に撮ろうとするでしょう。〈記憶〉は撮ろうとする動機付けのために不可欠です。
そうしてシャッターチャンスを捉え上手く写真に収めることができれば、人はそこに喜びを感じます。なぜなら、写真を撮る(あるいは観る)とき、意識の上には過去(の記憶)と現在(の知覚)が同時に存在する、つまり、意識は写真を媒介として過去と現在との行き来が可能になるわけであり、人はこの事態を「ある期間自身が確かに存在し生きていた証」と感じられるからではないでしょうか。そして、そこにこそ写真の必然性があると私は睨んでいます。
家から駅へ、散歩、買い物、居酒屋へ——見慣れた風景の中を私はカメラを持って出かけ、時に分け入るように意識しながらその空間を進み、さらにもう一歩踏み込んでみると、いつもと違う気配を感じて、シャッターを切る。良い写真が撮れたなら、それは私の忘れ掛けていた〈記憶〉との邂逅、〈日常〉における〈非日常〉との遭遇かもしれません。かつて日常から遥か〈遠く〉に求めていたものは、すぐ手が届くような〈近く〉にも有ると気付かされるのです。
(展示枚数 約50点)
中島康夫 略歴
1952年生まれ。79年多摩美術大学大学院修了。専門学校非常勤講師、会社勤務等を経て、92年にデザイナーとして独立。
<個 展>
1981年 Yasuo Nakajima Presentation(個展) Fragrance of Photographic Paper 藍画廊(銀座)
1984年 Yasuo Nakajima Presentation Ⅱ(個展) Para-focus 鎌倉画廊(銀座)
1986年 Yasuo Nakajima Presentation Ⅲ(個展) Illusive or Relative ギャラリーQ(銀座)
2017年 中島康夫写真展「中央線・高円寺界隈」 唐変木(高円寺)
2020年 中島康夫写真展「見慣れた日常・見慣れぬ日常」 唐変木(高円寺)
2021年 中島康夫写真展「時の隨に 2012—2020 (+1)」 アイデムフォトギャラリー「シリウス」(新宿)
2022年 中島康夫写真展「フェーズ:位相→相[足利・武蔵野]」 artspace & café(足利) ほか